羅須地人協会(賢治先生の家)一般見学について
下記の通り、見学者を受け入れております。
見学期間:4月1日~11月の第1日曜日
見学・利用についてのご案内は こちら
同窓会会長 高橋専太郎
賢治先生の家周辺の樹木の伐採について(同窓会より)
学校敷地脇のいわて花巻空港から、学校敷地内の樹木が航空法の高さ制限に抵触すると連絡がありました。
学校・同窓会では、景観保持の観点から現状維持をお願いしましたが、法に抵触していることなので、伐採は止むを得ないとの認識に達しました。賢治先生の家周辺の樹種は松が多く、芯止め・剪定により高さを抑えることも考えましたが、松枯れしたものや枯れ始めているものが多く、放置すると倒木の恐れがあったため、空港側の手配により伐採されました。
伐採後、景観上好ましくないとの御指摘も受け、本校環境科学科3年生により、植樹を中心にリガーデンを行ないました。空港の高さ制限により、7m以上の樹木は植えることが出来ませんので、以前のような風景に戻すことはできませんが、今後も周辺環境と景観の保全に努めて参りたいと思います。
■90周年記念事業 同窓会館 「 黎明館 」
「賢治先生の生涯」
明治29年8月27日、現在の花巻市豊沢町4丁目11番地に父・政次郎、母・イチの長男として出生。花城尋常高等小学校(現・花巻小学校)・県立盛岡中学校(現・盛岡第一高等学校)を経て、大正4年4月、盛岡高等農林学校農学科第二部(現・岩手大学農学部農芸化学科)に進み、卒業後も研究生・嘱託として、農地質学の研究に従事した。
大正10年12月3日、稗貫農学校(現・花巻農業高等学校)教諭となり、大正15年3月まで、4年4か月にわたって、本校で教鞭を執られた。
退職後の同年8月、下根子桜の別宅(本校地内に「賢治先生の家」として現存)に、農学校卒業生や農村青年たちの集う、「羅須地人協会」を設立し、「農民芸術概論網要」の講義や肥料設計相談、レコードコンサート、幻灯会など多彩な活動を展開した。
昭和6年には、東北砕石工場委託技師となり、石灰の製造指導と販売に従事したが、病臥に至り昭和8年9月21日死去。
「校本宮澤賢治全集」(全15巻)に収められた作品は、詩数百編、童話80編、短歌数千首、歌曲20曲、教材画数十枚、劇台本・エッセーなど多方面にわたっている。病身に鞭打って研究・製作された「肥料設計書」は約3,000枚に及ぶという。
(写真提供:林風舎)