2011年3月11日。あれから11年目になります。 10年目が過ぎ去り、それぞれが早いのか遅いのか、その感覚は人それぞれだと思います。10年が過ぎたこと で、震災関連の活動に一区切りという記事もいくつか読みました。区切りをつけるという考え方は、新たな展開を 考える上では大事ですし、気持ちを持ち直すうえでも大事なことだと思いますが、実際は区切りというものはあり ません。時間はただ過去から未来に向けて続くだけです。 あの日、私個人は内陸部に勤務していましたが、実家は沿岸部だったので浸水していました。当日は停電もあっ たので、沿岸部の詳しい被害状況など知る由もなく、大きな揺れに備えて逃げられる格好のまま早々に眠りについ たことを覚えています。沿岸部へ行けるようになった後は、毎週末に実家の片付けに行きました。その時見た光景 は今も忘れません。 内陸部勤務だった私は、沿岸部に勤務していた先生方のお気持ちを正確に推し量ることはできません。ただ、も のすごく大変だったことだろうと、当時から頭の下がる思いでした。果たして自分がここにいたら動けただろうか、 何ができただろうか。上手くやれる自信は今も全くありません。 東日本大震災は、多大なる被害をもたらしました。たくさんの命が失われ、たくさんの人が傷つきました。何も 変わらないことがいかに幸せなことか、同じような日々が続くものと無意識に考えていたと思い知らされる出来事 でした。 養護教諭という職種は、命を守る立場にあります。ただ、大きな災害を前にして、私たち一人の力はとても小さ いものです。しかし、小さいながらもできることはあるのだろうと思います。養護教諭同士、そして職場の同僚た ちと連携することで、小さな力は掛け算されていくのだと思います。 11年目を迎えた今、私たちに何ができるでしょうか。一つ言えるのは、あの時感じたこと、考えたことを今後 に繋げていくことだと思います。大雨、地震、天災は毎年のようにあります。世界では戦争も起きています。平穏 な日々が続くことが理想ですが、いつ何が起こるかわからない、そんな中で、何に備え、何を準備するか、私たち は考えていかなければなりません。 多様化・複雑化する子どもたちへの対応、猛威を振るっている新型コロナウイルスの対策など、養護教諭の皆様 は多忙な日々を送っていることと思います。そのような中でも、きちんと休息をとり、心身共に元気な状態を保ち、 少しでも穏やかに過ごしていけることを願っております。 多くの失われた命のご冥福をお祈りし、3月11日に寄せての挨拶といたします。 岩手県学校保健会養護教諭部会会長 村上 百合子 |