岩手県立盛岡工業高等学校

昭和初期~昭和40年まで

年 月 日事       項
昭和3年8月校歌が制定される。
昭和10年4月1日校則を改正し、別科を復活、金工科、木工科を増設する。
昭和11年7月11日上田敷地に於て校舎の移転工事に着手する。
昭和12年4月4日機械建築工場を残し、上田新校舎に移転し、新たに増設した応用化学科と共に授業を開始する。

(上田校舎全景)
昭和12年10月1日臨時工業技術養成の目的をもって、第2部機械科を新設する。
昭和13年4月別科を専修科に改称する。
昭和13年5月28日校舎移転改築並びに創立40周年記念式典を挙げる。
昭和14年4月1日校名を岩手県立盛岡工業学校と改称する。
昭和15年3月校則を改正し、新たに5年制を併設する。
昭和15年3月機械科卒業生西尾氏の寄贈により建築製図室と普通教室を増築する。
昭和16年3月第2部機械科、専修科を廃止する。
昭和18年4月1日教育令改正により、応用化学科を工業化学科と改称する。
 

  
(戦時中の様子 学徒出動 本校生の「捧げ銃」 本校機械工場)
昭和21年3月27日教育令改正により、3年制度を廃止し5年制度のみとする。
昭和21年4月1日教育令改正により、併設中学校を付設する。
昭和23年4月1日教育令改正により、併設中学校を廃止し岩手県立盛岡工業高等学校と改称し、新制高等学校令による3年制に改め、5年制度を廃止する。
昭和23年10月9日創立50周年記念式典を挙げる。
昭和24年4月1日岩手県立高等学校設置規則により岩手県立高松高等学校と改称し、男女共学の総合制に改め、新たに普通科を増設する。なお、校章を改め校旗を作製する。
昭和28年4月1日岩手県立盛岡工業高等学校と改称する。
昭和30年4月1日校則を改正し、定時制機械科を増設する。
昭和33年4月岩手県美術工芸高等学校の廃止に伴い、新たに工芸科を増設し、美工分校舎で授業を開始する。
昭和33年10月10日創立60周年記念式典を挙げ、記念事業としてグランド2,288坪を拡張する。
昭和34年4月7日新たに電力科、電気通信科を設置し、美工分校舎で授業を開始する。
昭和34年5月上田神庭山に寄宿舎を新設し、入舎を開始する。
昭和34年8月19日火災により、講堂及び家庭科教室を消失する。
昭和35年4月7日電力科、電気通信科の教室並びに実験室の一部及び家庭科教室の完成に伴い、同科の移転を完了する。
昭和35年12月25日工芸科の校舎完成に伴い、同科の移転を完了する。
昭和36年3月体育館並びに電力科関係教室及び実験室を増築する。
昭和37年10月ラグビー部が、第17回国民体育大会(岡山大会)で優勝する。
昭和37年12月土木科の建設機械倉庫を増築する。
昭和38年4月6日運動部部室とシャワー室を増築する。
学則を改正し、機械科、工業化学科を各々2学級編成とする。電力科を電気科に、電気通信科を電子科と改称する。普通科は廃止となるが、本年は臨時学級として2学級(100名)を募集する。定時制課程に電気科を増設する。
昭和39年5月25日建築科、工業化学科に(RC)実習棟を増築する。