スーパーグローバルハイスクール

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3月24日(金)
 8:00に寮内のエントランス集合。体調不良者はなし。
 午前中はヘイ・マーケットでのフィールド・ワークを行わず、10:00からパイン・メナー・カレッジで、アメリカの大学入試に係るアドミッションについてサミュエル・ホワイト氏から講義を受ける。
 建物はパイン・メナー・カレッジの本部棟。16世紀に敷地一帯を荘園として所有していた富裕な家庭の豪華な邸宅を大学が買い取り、そのまま活用している。2週間の滞在で初めて中に入ったが、雰囲気のある外観に負けない、素晴らしい調度品ときらびやかな内装にため息をもらす。
 ホワイト氏はアドミッションを専門に行う人材として当大学に雇用されている。アメリカの入試制度は、東北大学のAO入試に似た形式と考えてもらえばよい。大学によっては、願書を年度内のいつでも受理する。日本のセンター試験に該当するテストは、SATとACTの二種類あり、生徒の適性によっては、テストとの相性もあるようだ。受験機会は何度もあり、科目毎の点数も、最も良かったものを組み合わせることができる。その他GPAと呼ばれるいわゆる評定平均と志望理由書、推薦状、そして面接といった評価項目を総合して合否を決する。最近は "Common App" と呼ばれるウェブ上で各大学に同じ志願書類をそのまま送ることができる便利な制度ができた。生徒によって、2 〜 10の大学を一度に志願するようだ。
 千條が「総合的判断で合否を決するのは、曖昧さが残るのではないか」と質問。ホワイト氏は「大学側が最も重視するのは、その生徒が入学後、本学で充実した日々を送り、キャリアを形成してくれること、そして大学に前向きな影響を与えてくれることである。基礎学力の担保以上に、本人の動機付けの強さや、キャンパス・ライフを他の学生と協働して前向きに過ごしていけるかどうかが重要であり、数値的に曖昧な基準であるからこそできる。また、大学側が求める学生像と、大学側が提供できるもの、学生の人となりと学力水準、そして動機の合致を重要な選考基準としている」と回答。
 また、これまで何千通もの志望理由書を読んできたホワイト氏にとり、いまだに印象に残り覚えているものは、自らの独自性を語ったものであるという。推薦書を読む際も、その生徒が他の生徒とどう違うのか、際立つものがあるかを見ているという。
 生徒達以上に、英文の推薦状をこれから書くことになるかもしれない千條が、熱心に耳を傾ける結果となった。
 11:00にグリーンラインDとレッドラインを乗り継ぎ、最後の研修地であるハーヴァード大学ライシャワー日本研究所へと向かう。以前所長のテオドール・ベスター氏が岩手大学を訪れた際に、千條が親交を得て、今回の訪問に至ったものである。まずはロー・スクールのカフェテリアで昼食を取り、14:00にCGISという各研究所が集まる建物へと向かった。
 会場では多忙なベスター所長にかわり、千條と実際の連絡調整を行なってくれたエグゼクティヴ・ディレクターのホィットロー氏に出迎えてもらい、会議室に通された。日本人の大学院生吉江弘和氏とポスト・ドクターの二人を交え、Gがプレゼンテーションを行なった。内容は昨年11月下旬にGが高知県で行われた高校生津波サミットで発表した中身。東日本大震災の折、Gは大槌小学校に在籍、その際に世界から多大な支援をもらったことを感謝すると共に、この経験を新たな教訓として次なる大災害への備えとして活かすべく、世界の人々と共有するために若者として何ができるかについて発表した。特に岩手県沿岸部が過去明治29年と昭和8年に見舞われた津波の教訓を、どのように活かせたのか、また活かしきれなかったのかを、フィールド・ワークを通じて調査しまとめた点が本研究の重要な点である。
 途中、授業を終えたベスター所長も交え、発表に関する質疑応答とディスカッションを行なった。ライシャワー研究所は、東日本大震災の記憶を記録として風化させずに後世に残そうと、ウェブ上で震災にまつわる記事を収集、アーカイヴ化する事業に取り組んでいる。高い関心をもって共感的に耳を傾けてくれ、主に後藤のフィールド・ワークの手法や研究材料の詳細、取り扱い方などに関して、文化人類学的な視点からの質疑が行われた。議論は大きく展開し、震災の記憶、教訓を誰がどのように語り継ぐべきかという論点に収斂された。故郷や慣れ親しんだ場所には、人はその場所の歴史や地理が抱える「物語」を読み取ることができる。しかし、部外者にはただの見知らぬ街である。被災地に留まる選択をした人々だけが、震災という物語の語り部として、その記憶や教訓を後世に伝えていく責任を負うのか。語り部は、たとえ故郷を去り見知らぬ土地で暮らすことになったとしても、その土地の人々と共有すべき物語があるならば、その人々に対して語るべき物語があるならば、語り部たり得る、という結論に至った。
 千條が釜石高校で送り出した卒業生達は、いつか地元に戻ってくると語る者もいれば、自分の実力を発揮できる場所を探したいという夢を語る者もいた。いずれにも、被災地出身だというバックグラウンドを、足かせにしてほしくはない。まずは自分の人生を全うすることを優先してほしい。いつか余裕ができた時、口を開いてくれれば。語るべきことを持つ彼らは、然るべき相手に出会った時、きっと語り部となってくれる。その邂逅が、物語に含まれる教訓を生きたメッセージにしてくれる。
 休憩中に、準備していただいたお菓子を食べ、テーブルを囲む全員が自己紹介をした。名前と、ボストン滞在で最も印象に残っていることは何かを一言ずつ語ることとなった。奇しくも最後の研修場所で、生徒達にとってはこの2週間を総括することとなった。生徒達の言葉には、一人ひとりの性格の違いがはっきり出ていて、色々な場面を思い返しながら、興味深く感慨深く聴いた。猿橋さんの言葉が、非常に印象に残っている。「生徒達が変容していく様が、最も印象的だった。これまでたくさんの高校生と共にボストンを訪れたけれども、今回の子達の変容が、最も心に残っている。」自分もそう思う。彼らと同行できたことを誇りに思う。
 ライシャワーを後にし、大学院生の吉江さんがまだ時間があるからと、向かいのカフェテリアで少しお話をすることになった。彼にもケネディ・スクールのクルーヴァー女史同様、なぜライシャワーで研究するに至ったのか、キャリアを語ってもらった。知的好奇心旺盛だった彼にとって、学問を追求し続けて辿り着いた先が、結果としてハーヴァードであったことは、生徒達にとってとても良いロール・モデルであると感じた。
 別れを告げ、大学生協で買い物。お土産を購入する最後の機会。皆米ドルを使い切ろうと躍起になる。日本で換金すればいいのに。
 帰路、レッドラインとグリーンラインDを乗り継いで帰寮。今回の旅の主たる足となってくれた地下鉄やシャトルバスに乗るのも最後。
 18:00カフェテリアで夕食。明日は土曜でカフェテリアは開かないため、最後の晩餐。このカフェテリアは、毎食異なるメニューを豊富にそろえ、本当に美味な食事を提供してくれた。
 20:00ラウンジで荷造りのポイントや明日以降の旅程を確認、解散。
 寮での最後の夜を惜しんで、遅くまで楽しんでいた模様。

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